育てをしてからでも

岐阜の幼稚園では子どもの表情が硬い場合に

子どもの表情が硬い場合には

育児に失敗しても
それが赤ん坊にとってありがたい。耳できいただけでわかる言葉をきかせてもらえた。わんわんというような言葉を数百回繰り返してきいていると、自然に(実に不思議だが)意味がわかってくる。とにかく、繰り返しで、最初の言葉を覚える、ということを忘れないようにしなくてはならないいくら母乳が栄養に富んでいるからと言って、のごろは、かつてより離乳が早い。いつまでも与えていれば発育に悪い。

幼児の遊びは享楽ではありません
それで離乳をする言葉でも同じ道理である。母乳語によって、言葉だけでなく赤ん坊としての知恵もつくが、いつまでもそれだけしか教えないと、やはり頭の発達がおくれる。言葉も離乳しなくてはならない。離乳のための言葉が離乳語である母乳語と離乳語はどこがどう違うのか。前にものべたように、ウソのつける言葉が離乳語というわけだ。りくつがわからない三歳くらいのこどもにとにかく高度の言語へ切り換えをさせなくてはならない。

子どもにまかせてみる気持を失っているのです

父親の弱い家庭に問題児が多いらしいことはすでに早くから注意されている。家庭教育し、家長制度的なところがいくらか必要なのかもしれない。いまほど教育に熱心な時代はないと思われる。こどもの教育のためなら何でもすると親たちは言う。もし厳父慈母がこどものためだとわかったら、戦後四十年の行きがかりをすてて、もう一度、父よ、あなたは強かったを合唱することにしたらどうか。

子どもの年齢に合わせて絶対違うでしょと気づけるようなネタでボケればよいのです写真館で子供写真を撮影する教育の男性化このところまた、教育に対する関心が高まっているように感じられるもっとも、これまでも、教育に冷淡であったわけではない。教育ママという言葉が象徴しているように、熱気味ですらあった。ところが、このごろになって高まってきた教育熱はそれとはひと味違うのである。が、どう違うか。一般にはまだはっきりはとらえられていない。政治の世界でも教育が大きな問題になることがすくなくない。

子どものころは小柄で

もう一つのポイントは、きつく言わない事です。きつい言い方や、怒った言い方をすると怖さを植え付けてしまいます。すると子供は話そうとはしなくなってしまいますので、あくまでも自分の気持ちを相手に適応させられるように親が「これは駄目」「こうしなさい」と頭ごなしに言うより、即効性と持続性が高いのですのです。社会性は人間が人間社会で生きて行く為に必要な能力です。社会性の源泉は母子間で育まれた愛着であり、それを応用した他者に対する信頼です。

子どもにとって遊びは学び遊んでばかりいないで少しは勉強しなさい!

それは人類の動物としての歴史がそのままベースになっています。母体の中で、38億年の歴史を辿り、魚や両生類の形を経て人間の形になるように、人間の生態も集団から始まった訳ではありません。脊椎動物になったばかりの頃は卵生動物だったでしょうし、両生類だった頃には家族も無かったでしょう。卵生動物の初期は、恐らく生みっぱなしだったでしょう、それから鳥類のように卵を守り、胎盤を持った哺乳類に進化して、母親が子育てをするようになり、狼の様に家族単位で生活する動物になり、家族同士が集まって暮す集落、それが発展して村から町へ、それが都市となって、集落や都市の集合体として国家が生まれています。人間の成長にしても、都市や国家にしても、いきなり出来る物では無く、そこに至るまでのベースとなる物が無ければ生まれないのです。

      育てることが大切です
      子どもたちもいました
      しつけにしても